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イケダ先生の世界 青い目の記者がみた創価学会
2006年10月
21日
ベンジャミン・フルフォード(元フォーブスの編集長)
下記にある『山崎正友・元顧問弁護士』とは重要な人物
(工作員を出版業界に紛れ込ませている事も書いておられる。つまり『工作を行う情報を流していた』といふ重大な証言も判明)
【転載】
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創価学会に造反した山崎正友・元顧問弁護士はそのひとりだ。彼は宮本顕治・日本共産党委員長宅の盗聴事件(1970年)を指揮した人物と言われ、後に反旗をひるがえし、反学会の立場に転じて盗聴の事実を暴露した。
山崎元弁護士は、常に尾行されているという。彼と一緒に外を歩くと、たしかに不審な男がつけてくる。
「あの人は、私を尾行しています」
山崎がそう言うので、私がその男に、
「あなたは、尾行しているのですか?」
と、誰何(すいか)したら逃げてしまった。
山崎の発言は衝撃的だった。創価学会はファシスト集団で、世界支配を目指していると物騒なことを言い出す。しかし彼は以前、創価学会を恐喝して逮捕されたことがあるとも言われていたので、半信半疑で話を聞いた(註釈:この内容については山崎氏の書籍を読了していただきたい。どのようなコトなのかが分かる)。
(略)
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リサ・ジョーンズによると、「異体同心」とは「先生の意志を自分の意志とせよ。自分の夢の代わりに(池田)夢を実現しなければならない」という意味である。彼女もかつては信者で、池田の本をゴーストライターとして書いた経験もあるが、現在は「創価学会を疑う」ウェブ・サイトを運営している。
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池田はミハイル・ゴルバチョフとヘンリー・キッシンジャーをここに招き、たびたび会談を行ってきた。
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「朝日新聞」の6月の特集で、脱法専門の石村耕治白鳳大学教授は、創価学会の政治活動は宗教的な地位の乱用であると述べている。石村は、「特定の宗教組織に依存して政治の基盤を築いている与党の影響が、ますます強くなっている」と書き、創価学会が集めた寄付に対して、課税すべきだという立場をとっている。
52
1995
年、東京郊外、東村山市の市議だった朝木明代は、議会で執拗に訴えていた。その内容は、市のゴミ収集事業全体が、創価大学の関連会社と契約を結んで行われているのではないか、というものだった。
殺すぞという脅迫があった後、朝木はビルから飛び降りた(註釈:『東村山の闇』参照あれ)。娘の朝木直子は、その当時の様子を次のように語っている。警察がその現場に駆けつけたとき、彼女はまだ生きており、病院へ行けば助かったかもしれない。そして母が死んだとき、警察は彼女の遺体をすぐに火葬しようとした。
地検担当検事の信田昌男と、その上司にあたる支部長検事の吉村弘は、ともに創価学会のメンバーである彼らの報告によれば、朝木は女物の服を万引きしたと疑われ、自殺したのだという(註釈:この事件に関する書籍も御読み下さい)
。
86
リサ・ジョーンズは、『ワールド・トリビューン』の記者をやっていたこともあるし、池田大作のゴーストライターとして本を書いたこともある。
(略)
SGIのプロパガンタ記事をたくさん書いた。しかし私は、SGIはカルトだと考えるようになった。まずこの組織には、自由に発言できる機会がない。彼らはそれを座談会(ミーティング)と呼ぶが、実態は違う。喋る時はイケダの言葉を引用しなければならないし、彼に対する称賛も忘れてはならない。こうしたイケダへの追従は、学会の典型的例だ。
(略)
SGIの初代理事長、ジョージ・ウィリアム(註釈:日本名 貞永昌靖)時代の話だ。彼は92年に名誉職となって、退任している。彼の周囲に『特別警備隊』と呼ばれる男性会員から構成されたグループがあったウィリアムス自身もそれを持っていた。そして、彼らは武器を持っていた。サンタモニカのワールドカルチャーセンターには、本当に武器庫があったという。私にとっては、とても恐ろしいことだ。
SGIはフロリダに『トレーニングセンター』を持っている。ここが何に使われているか、私には分からなかった。それにしても、武器は何に使われていたのだろうか。仏教の訓えを守るために、銃を所持していたのだろうか。SGIのことをテロ集団と思う人はいない。しかし、私はSGIが人の心をつかむ方法や、メンバーが組織のためにはなんでもすることを知っている」
――アメリカ創価学会についてどう思うか?
「(存在自体が)ジョークだろう。実態は職員も学生もほとんど学会員。表向きはオーラル・ロバート大学のように非宗教学校の顔をしている」
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創価学会を分析した章は、63年11月3日、甲子園球場で開催された「創価学会文化祭」の様子から始まる。
「(スタンドは)8万人を越す大観衆で満員だった。フィールドでは、コスチュームやユニフォームを着た7.000人たちが、幾つも幾つも列を組んでマスゲームを演じていた。(中略)私は約2時間、いくぶん恐ろしい気分におちいりながら眺めていた」
てきぱきと正確に演じられるマスゲームに、彼は恐怖感を抱いた。現在なら北朝鮮のそれと同じような光景だったかもしれない。
(略)
「彼が通り過ぎる部分のスタンドの人々は、他の人に負けまいとして、躍起になって歓呼の声を張り上げ、身振りで喜びの表情を示していた。
私はこの情景を眺め、彼らの歓呼の声を聞いているうちに、こうした大衆のエネルギーと盲目的従順の声明に慄然とした。第二次世界大戦当時を憶えている者にとっては、こうした光景は決して忘れられるものではない。私の心に、ナチスの青年大会のニュース映画の一コマや、文明を絶滅してしまった全体主義の光景が、ちらっと浮かんでくる。この類似性には偶然以上のものがあるのではないだろうか? これはファシズムの再生なのだろうか?」
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「私の祖父は、日本を訪問した際、まったく池田氏には会っていません。祖父の昔からの日本の友人たちも、祖父の最晩年の、どちらかというと漠然としたインタビューをもとに池田氏が大袈裟に祖父の思い出を書き立て、自分のために利用していることに対して、明らかに苦々しく思っていました」
(略)
手記は痛烈な一節で締めくくられていた。
ポーリー女史は、創価学会をしっかり観察もしていた。彼女がとらえた創価学会の姿を紹介して、この話を終わりにしたい。
「創価学会は、戦後の混乱期に何らかの団体に所属し、自己のアイデンティティを得ようとした上昇志向の強い都会人を集め、急成長した新興宗教の一派です。
創価学会とは、価値を創造する会という意味で、13世紀の僧侶で現世の利益を主張した日蓮の教えを基礎にしています。
また、まったく民主主義的要素のない階級支配的団体であり、池田氏が絶対的権力を手中にしている組織です。会員には1日に2度ほどの勤行以外に、ほとんど宗教的かつ倫理的な修行を課してはいませんが、組織内ではほとんど絶対的な服従のもとで活動に参加することが求められています。
池田氏が政党を作ったことにより、彼がこの権力をどのように使っていくのかを警戒する声が聞かれ始めました。この警戒感を解きほぐすため、表向きには、党と学会は分離されましたが、議員はすべて創価学会員です。
(略)
また日本では25年間、同一政党が政権を握ってきており、公明党――清い政党であろうとなかろうと――は、田中派の候補者を助け、その代わり田中派は学会のスキャンダルをもみ消して守ってきました。
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戸田の薫陶(くんとう)を受けた池田は、会長就任当初、くり返しこのフレーズを強調し、会員たちに語りかけた。
「邪宗教はあくまでも金儲けのための信心であります。金儲けのための企業が邪宗教であります。それに反して、日蓮正宗の信心は、私どもは、誰一人から一銭ももらわず、(略)人を救っているが創価学会なのであります」
この発言は、かび臭く変色した昔の『聖教新聞』(1961年4月8日付)に載っていたものだ。
(略)
池田はこんな言葉を残している。
「邪宗などは、みんなうまいことをいって金を巻き上げて、教祖のために、それから教団の勢力のために、それも、本当に人々が救えるなら許されるけれども、ぜんぶが地獄に落ち、民衆は教祖にだまされて、そして教祖は立派な家ばかりつくり、民衆は最後には、コジキみたいになってしまう」
「創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養願うようなことはいたしません」(以上、『聖教新聞』62年6月16日付)
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脱法のエキスパート、北野弘久・日本大学名誉教授は、創価学会と公明党の関係は違憲だと主張するひとりだ。
――1970年に、池田大作は「お詫び講演」を行って、創価学会と公明党とを切り離すと言った。日本の知識人には、それを信じている人が多いようだし、また多くのメディアもそのことを前提に記事を書いている。公明党と学会の関係については、真正面から取り上げていないという印象が強くある。
「おかしな話です。憲法にも関係する話ですが、まずは現実論で考えてみましょう。あなたは公明党と創価学会がまったくの別組織だと言われて納得しますか?
――無理。
「でしょうねぇ。公明党員に非創価学会がいったいどれだけいるか。皆無に等しいでしょう。創価学会は、自分たちのことを『公明党の支持団体のひとつ』と主張していますが、選挙ともなれば、学会の施設で決起大会を開いたり、『聖教新聞』も『大勝利へ!』と書いて学会員を鼓舞する。
創価学会の一般会員が有給で選挙活動を行えば、即、選挙違反ですが、彼らはボランティアで行っている。ここがミソなんです。公明党は政党ですが、創価学会は(日蓮正宗からの破門によって)教義を喪失した『政治集団』というのが実態でしょう。
1995年に宗教法人法改正の論議が巻き起こりましたが、そこで特に問題となったのが、創価学会の施設を使った政治(選挙)活動でした。これで懲りたのか、以降彼らは、おおっぴらに学会の会館を使うのを避けています。
しかし、先ほどもお話しましたように、創価学会の集まりに“名を借りた”選挙向けの決起大会が、事あるごとに開催されている。
私は以前、『創価学会と公明党の関係は、実態として、公明党の仮面をかぶった創価学会か、あるいは創価学会の仮面をかぶった公明党という構図です。もはやこれは公知の事実です。公知の事実というのは、法廷でも証明する必要がないんです』と述べたことがありますが、この考えは今でも変わりません』
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「69
年に、政治評論家・藤原弘達氏の『創価学会を斬る』の出版を妨害した、いわゆる言論出版妨害事件が発覚し、池田はいったん敗北します。
(略)
路線的には、この頃から『総体革命』、つまり学会員を社会の各層、各部門に配置して天下を取るという方針に変わる。人材養成機関としては層化学園、大学などをこしらえる。変わり身は早かったんです。
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創価学会、公明党の事件簿
大阪事件
1957年4月23日、衆議院大阪地区の補欠選挙があった。創価学会は中尾辰義という候補を立てたが落選。この時、陣頭で選挙戦を指揮していたのが池田大作だった。大阪府警は、当時の学会理事長や池田らを逮捕。戸別訪問や買収などの選挙造反容疑だった。
池田は大阪東警察署に15日間留置された後、保釈された。起訴された創価学会員の数は実に45人、池田も起訴されたが、4年後には無罪判決を受けた。
集団替え玉投票事件
1968年の衆議院選挙の時、東京や北海道などの6都府県で、学会員による架空転入や、投票入場券の盗み出しが発覚した事件。8人の末端幹部が有罪となった。
練馬投票所襲撃事件
1969年に行われた東京都議会都員選挙で、練馬区の豊玉第二小学校(投票所)に、投票が締め切られた後に学会員がやってきたが、入場を拒否された。立会人と口論になり、押しかけてきた数十名の会員が暴行を働いた。この時、“指揮”を取っていたのが市川雄一公明党書記長だった。
選挙違反は、その後も形を変えてくり返されていった。
さらに深刻なのは、言論出版妨害事件や宮本共産党委員長宅盗聴事件のように、謀略的な事件が何度も引き起こされてきたことだろう。
言論出版妨害事件
同じ年、政治評論家の藤原弘達の著書『創価学会を斬る』の出版を、著者をはじめとして版元、書店、取次店などに圧力をかけて妨害しようとした。
公明党は、当時の自民党幹事長だった田中角栄に頼み込んで、出版中止を画策した。事件が発覚すると、池田は“お詫び講演”を開いて謝罪。この事件がきっかけとなって、学会と党の分離が宣言された。藤原以外の著作についても、多数、妨害に遭っていた事実が判明している。
宮元顕治・日本共産党委員長宅盗聴事件
池田の“お詫び講演”は1970年5月3日に行われたが、その直後から、出版言論妨害事件を最も厳しく追及していた共産党に報復が企てられていた。そして同じ年、創価学会による、宮本委員長宅の盗聴が発覚するが、捜査は進展せず、刑事事件としては時効を迎えた。
だが、学会に造反した山崎正友元学会顧問弁護士が、その事実を10年後に暴露し、共産党は実行犯や学会副会長を提訴して、後に勝訴した。創価学会、公明党は、公式にはいっさい謝罪していない(個人の犯行と主張)。
「月刊ペン」事件
雑誌『月刊ペン』が、連載記事で池田の女性問題について書いたところ、創価学会が編集長・隈部大蔵を名誉毀損で刑事告訴した。隈部は逮捕されたが、後に前出の山崎元弁護士によって、被告(編集長)側弁護士に
2000〜3000万のウラ金が渡ったという事実が暴露されている。
一審、二審では懲役10ヶ月(執行猶予3年)の有罪判決を受けるが、隈部は最高裁へ上告。最高裁は下級審の判決を覆し、東京地裁に審査の差し戻しを命じる「一発大逆転」
の判断を下した。最高裁の判決は、報道の公共性や公益性について画期的な判断を示したものとして知られる。
やり直しの裁判では、池田自身が2度にわたって証人として出廷し、メディアはその様子を大きく報道した。判決は罰金30万円。被告は再び高裁に控訴したが、その裁判の途中で急死してしまった。
こうした事件のほかに、金に関係するものも多い。
砂利船汚職事件
1988年、公明党の田代富士男参議院議員が、瀬戸内海の砂利船の組合から多額の現金を賄賂として受領した事件、有罪判決が下っている。
リクルート事件
日本政界の大スキャンダル事件だったが、公明党議員にも疑惑の対象となった者がいた。池田克也衆議院員だ。リクルート社から未公開株をもらい、同社に有利になる質問を国会で行っていた。有罪判決。
【転載了】

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